聞こえない自分を支えてもらったから、これからは長生きできる努力をしたい

2021.08.07

今回は、うぐいす補聴器を利用してくださったK様から、お話しを伺いました。
K様との出会いは、訪問診療医から紹介を受けたこと。田中がご自宅に訪問しました。デイサービスに通われていますが、周りとのコミュニケーションを避けており、一人でいることが多いとのことでした。障害者手帳を取得して補聴器を使い始めると、明るく前向きになり、コミュニケーションも活発に行うようになりました。

K様 76歳(撮影当時)

●重度難聴。仕事を辞めてからは笑うことが減った

東京都練馬区出身のKさんは、運送会社やタクシー会社など、運転手として四十七年間活躍されたベテランのドライバーでした。
「六十五歳のとき、すぐ隣に接近したトラックに気づかなかった。これは危ないなと思って会社を辞めた」
人や物を安全に運ぶドライバーの仕事を続けていくことはできないと痛感し、ご退職を決意されたとのことです。

その後は老齢年金を受給して生活しており、ケアマネージャーの支援を受けながらデイサービスにも通所する日々でした。
しかし、聞こえにくいという症状は、Kさんの心に靄をかけていたようです。
「若いとき、耳が聞こえていたときは、人を笑わせられる面白い子だって言われていたのに、それが変わった。おとなしくて、喋れなくて、面白くなかった」
聞こえないこと、そして、会話ができないことによって、Kさんが好きだった笑うこと、笑わせることは少なくなっていきました。
「気分が沈んだままだったから…… 話しかけられても聞こえなかったから…… うつむきかげんだった。もしも、補聴器を使っていなかったら、どうなっていたんだろう。どんどん暗くなっていくからね」
人とのコミュニケーションが減っていき、生活が面白くなくなっていったと語ります。

Kさんは聞こえない状態を打開しようと行動を起こしたこともありました。
集音器っていうのを通販で買ったんだけど、あんまりよくなかった。使うのはやめちゃった」
通信販売で集音器を購入されたものの、Kさんの聞こえの状態や生活様式には合わなかったようです。
集音器は難聴者向けの医療機器ではなく、一般的な家電製品です。医師から重度難聴と診断されるほどの聴力レベルだったKさんは、十分な効果を得られませんでした。

せっかく集音器を買ったものの、それがご自身に合わなかったという体験は、Kさんがあきらめの気持ちを抱く一つのきっかけだったのかもしれません。
病院で聴力検査を受けたり、補聴器のことを相談したりということもありませんでした。

●コロナ禍に給付された十万円を補聴器に使おうと思った

退職してから十年。ケアマネージャーや訪問診療医に補聴器の話をしたことがきっかけとなり、自宅訪問を行う補聴器相談の専門家ということで、うぐいす補聴器の田中を繋いでいただきました。

補聴器を試したい方がいると田中が連絡を受けたときは、新型コロナウイルス感染症に伴う経済対策として全国民に支給された十万円の特別定額給付金を補聴器に使いたいというように聞いておりました。
「そんなこともあったっけ? 忘れちゃった。田中さんを紹介されて、そのあと耳鼻科で検査をして、耳が悪いのが分かったから、区役所に申請を出して、それで補聴器を着けたんだと思う」

結果的には障害者総合支援法の補装具費支給制度を利用することになり、そちらの経緯についてはKさんもしっかりと覚えておりました。しかし、特別定額給付金を補聴器の購入に使用することはなかったため、そもそものきっかけはすっかり忘れてしまわれたようです。
集音器がうまく使えなかったものの、十年の間に補聴器のことを知り、特別定額給付金を受給できる機会があり、ケアマネージャーや訪問診療医に相談できたことは、Kさんにとって大きな転機でした。

田中がKさんにお会いしたところ、障害者手帳の交付基準に該当する聴力かもしれないと真っ先に感じました。
すぐに、耳鼻咽喉科で詳細な検査を受けられることの重要性をお伝えします。一人での受診が心配とのことでしたの、担当のケアマネージャーに連絡して同行をお願いしました。
受診していただいたところ、障害者手帳の交付基準に該当し、医師からも診断書と意見書を発行してもらいましたので、障害者総合支援法の支給制度を利用することになりました。

●会話ができるようになった。人生が変わったような気持ち

「田中さんに補聴器の面倒を見てもらって、人生がうんと変わった。よく聞こえるようになって、会話もできた。こんなに違うなんて思わなかった」
補聴器を装用してからのことをうれしそうにお話しされます。
Kさん宅に訪問しているケアマネージャーや訪問診療医にも様子をお聞きしましたが、話しかけるときに大声を出さなくなったことを実感されていました。受け答えがスムーズになったと安心した様子です。

「デイサービスも補聴器がないときは面白くなかった。部屋の後ろで、つまらないからいやだなあって思っていた。補聴器がなかったら、まず会話ができない。聞こえるようになって会話するようになった。補聴器を着けた後は楽しくなった。デイサービスの人にも明るくなったって言われた」
Kさんは、通所されているデイサービスでの変化のことも話されました。
「デイサービスでは冗談も言えるようになった。聞こえるようになって、やる気になって、冗談を言って笑わせる。男の人も女の人も笑わせる。若い人をからかうんです。美人さんとかね」

デイサービスでは、運動をしたり、頭を使った勉強をしたりしているそうです。漢字パズルや文の穴埋めの問題を解いているのだと教えてくださいました。
「会話ができるようになって、聞こえるし話せるから、黒板に書かれた問題なんかも、先だって手を挙げて答える。それまではできなかった。言えないし聞こえないしね」
補聴器を使い始めて、だんだんと性格も明るくなり、周りの輪に溶け込めるようになったとのことです。言葉が聞こえるようになり、顔を見て挨拶をすることも増えたと喜ばれておりました。

●コミュニケーションが増えて、周りの人の難聴も気に掛けるようになった

「でも、なかには補聴器を着けたくない人もいるのね」
Kさんはご自身が補聴器を使うようになり、一つ気がかりなことができたようです。
「Bさんという人がいるんだけど、耳が聞こえない。補聴器を二つ持っている。カバンの中に補聴器があるんだからつければいいよって言っているのに、面倒くさいからいやだって」
デイサービスに通所されている利用者に、補聴器を持っているのに着けようとしない方がいらっしゃるようです。

「ほかの人がBさんに話しかけている。周りの人が一生懸命に大きい声で話しかけている。それは大変なことなんだよって。労力を使っているんだから、それをBさんも分かってねって言ったんだよ」
Kさんは、Bさんのことをとても気にされています。Bさんのことを話し始めてから、少し残念そうにうつむきます。
「俺も補聴器を着けるまでは失礼だった。話しかけられているのに、聞こえたふりをする。でも、つらかった。それが一番つらかった。聞こえたふりするのはつらいよ。話しかけられているのに、会話をしようとしても言葉が分からないから、つらかった」
Kさんはご自身の経験を振り返ります。
「聞き返すのもいやだった。なに言ったの、とか、もう一度聞かせて、とか言うのもいや。それも耳の前に口を近づけないと聞こえないから」

今でこそ明るくなり、デイサービスの中でも積極的に輪に溶け込むようになりましたが、以前は後ろの方の席に一人でおとなしく過ごされていました。それは、聞こえたふりをしたくない、聞き返したくない、という気持ちがあり、誰とも話さないようにしていたのでしょう。
Kさんは小さくため息をつきました。田中も同じように、小さくため息をつきます。
「Bさんにはね、聞こえないと不便でしょうって言っているんだけど…… 着けたら楽しくなるから着けなさいって言っているんだけど、でも、やっぱり、着けない」
ほかの人と会話をすることを避けていたKさんですが、補聴器を着けたことで明るく前向きになり、デイサービスも楽しくなったことを実感されています。補聴器を着けたがらないBさんにも、明るくなってほしい、楽しくなってほしいという気持ちを抱いているのでしょう。
「聞こえないんじゃ、楽しくないでしょうって。着ければ楽しいよって、俺が楽しくなってんだから。そういうのを教えているのに、耳は聞こえなくてもいいのって言う。耳に着けるのがいやなのって言う」

KさんはBさんにたくさん話しかけましたが、何度も強く言うことに躊躇いを感じるようになったそうです。
「本人の気持ちだからね。自分は着けたくないんだもん。そこまで強く言っちゃいけないかなって…… また火曜日に会うから、またちょっと話しかけてみるけどね」
口調も表情も寂しそうでした。KさんとBさんは、火曜日のデイサービスの送迎車で一緒になり、車内では隣の席になるそうです。「こんにちは、今日もよろしく」という簡単な挨拶ならすぐ隣で聞こえているようだけど、もっと広い場所だと聞こえなくて困っていそうだと心配されています。

「Bさんには着けてもらいたい。人生、この先が全然違うから」
自身の人生が大きく変わったと感じているKさんと、聞こえないままでいいと考えているBさんの間には、今はまだ溝ができているようです。

●みんなに支えられているから、これからは長生きできる努力をしたい

「補聴器を着けてから人生が変わったね。老人の人生も変わった。明るくなったよ。補聴器を使うようになって人生が変わったことは確か。デイサービスも楽しくなったから。うれしい、ほんとうに。聞こえるようになったのは、一にも二にもよかった。」
補聴器をうまく活用できるようになったことは、Kさんに様々な影響を与えたようです。
田中も、補聴器を着け始める前からのKさんの変化を目の当たりにしています。性格も表情も変わられたように感じます。Kさん自身は、それ以上に強く自覚されていることでしょう。

「前はね、カラオケが聞こえなかった。歌詞の字だけ見て歌っていたけれど、それだとズレちゃうんだよね。補聴器を着けて、カラオケの曲が聞こえるから、字を見て、曲を聞いて、それで歌えるようになった」
百点を出したことも何回もあったと誇らしげに教えてくれました。
ただ、残念なことに、最近はカラオケに行けていないようです。
「今はコロナのせいでカラオケも行けないけれどね…… 贅沢なことは言えない。これだけみんなに支えられているから。ケアマネージャーさん、先生、スタッフさん。みんなが支えてくれた」

明るくなり、前向きになり、人生が変わったとさえ思えたKさんですが、それはたくさんの人に支えられたからだと考えられています。
「あと何年、生きるかはわからないけど、長生きできる努力はする。それは、皆さんが支えてくれて、生きる力を与えてくれたから。それだけは生き延びなきゃいけないなって」
Kさんは、とても力強く語ってくださいました。