【新聞掲載】目の前の難聴者は今「聞く」状態か、それとも「聴く」状態か

2022.10.18

【第58回 2022年(令和4年)10月18日(17日発行)】

 耳の不自由さについて、若い人にとっては関係のないことのように思えるかもしれません。ですがこれからの超高齢社会、耳が聞こえづらい人との接触や関わりは増えていくでしょう。

 それを考えれば、現在は、聞こえになんの問題がない人にとっても、他人事では済まされなくなるのではないでしょうか?

 そのためにも、聞こえの不自由な人の立場に立った接し方を考えることは重要だと考えます。

 たとえば耳が遠い相手に対し、耳元で大きな声を出せば良いと単純に考えていませんか? 実は難聴には小さな音が聞こえない一方で、大きすぎる音には逆に敏感になり過ぎて不快になる、聴覚の補充現象という特徴があります。

 また、音としては聞き取れるのに、言葉の聞き分けが難しく、時に会話の内容が理解できない状態になるという言葉の明瞭度の低下も起こります。

 かつての志村けんさんのコントみたいに、言葉の意味を取り違えてしまったり、臆測で話してしまうことでトンチンカンなやりとりになってしまいかねないのです。

 前回のコラムで、「きく」という言葉には5種類の同音異義語(聞く、聴く、訊く、利く、効く)があると紹介しました。目の前に難聴者がいたら、果たして「聞く」状態なのか、それとも「聴く」なのかを考える必要があるわけです。

 補聴器をつければ今まで聞けなかった音を「聞く」ことができます。それにより人の話や音楽を「聴く」ことができます。また会話をしていく中で相手に疑問に思ったことを「訊いて」、初めて双方向のコミュニケーションが成り立ちます。まさにその瞬間に補聴器が利いている(役に立っている)わけです。

 こういった「きく」に対して思いやりの輪が広がり、加齢による難聴を抱える多くの方が補聴器を当たり前につけるようになることで、日本の健康寿命の伸長に補聴器が「効いた」社会が訪れたと言えるのではないでしょうか。

https://hc.nikkan-gendai.com/articles/278238